かねてより、西行、芭蕉、良寛、賢治、山頭火の足跡を訪ねたいと思っていたが、山の誘惑が勝り実行せずにいた、

東京からの帰り、良い機会なので芭蕉と賢治に少しばかり触れてみる。

黒羽町 7月29日

まだ梅雨の明けぬ東京をたち、宇都宮を経由して黒羽町につく、芭蕉が奥の細道紀行で気に入り長逗留したところです。

遊行柳 7月30日

田一枚植えて立ち去る柳かな 芭蕉

芭蕉が歌った遊行柳は何処にでもありそうな山里に、何処にでもある田んぼの中で雨にうたれている、芭蕉が訪れた季節は去り、田や野や山も緑が濃い、その緑の中にそばの花が目を引く

雨に濡れなお白きはそばの花

白河の関 7月30日

白河の関は、古来、文人歌人がこれより陸奥と感慨をこめ多くの詩を残した場所である、杉の木に囲まれた小さな神社がある、誰もいない、訪れる人は少ないようだ、賽銭を投げると、野良犬が拝殿の下から出てきて、迷惑そうにこちらを見て立ち去る

白河の関犬の住みかとなりはてたる

平泉 毛越寺 7月30日

1日で白河の関から平泉まできた、芭蕉は幾日でここまで来たか、当時は命がけの旅であったろうが、現在のあんちょこさよ、まず広大な平安朝庭園をもつ毛越寺で

夏草や兵どもが夢の跡  芭蕉の碑文を見る、

堂塔伽藍は焼失しあとは広大な草原となっている、すっくと立つ桔梗が目に付く

故知らぬ桔梗の花のあでやかさ

中尊寺、北上川、種山高原

中尊寺の金色堂は、あまりにも光り輝く金色で、偽物を見ている気がする、芭蕉も同じものを見たのかといぶかしく思いながら、

五月雨をふりのこしてや光堂 の碑文を見る。

光るほど心曇るは悲し

芭蕉の思いが伝わって来ない、現在の足跡を訪ねてもそれは無理かも知れない、足跡は彼らが残した文章の中にしか無いのではないか、これから向かおうとする花巻の賢治も同じであろう、急遽予定を変更して、遠野に行くことにした、長かった梅雨も終わりかと思わせるほどに雲が消えた、北上川を渡る頃には、日も暮れ、わずかな残照が川面を照らしていた、川面より立ち昇る夕霧を眺めていると、遠くまで来てしまったという思いと郷愁めいたものを感じる、昔、旅人が白河の関を超える時に似たような気持ちを抱いたのではなかろうか

行き暮れて故郷は遠く夕霧のたつ

賢治が度々訪れた種山高原を通る頃は闇となり、空には北斗七星がかかっている、まだ空は澄んでおらず、彼が愛した銀河は見えない

梅雨去りて七つ星の懐かしさ

遠野 7月31日

遠野は早池峰山の麓にある盆地である、盆地内を猿が石川、早瀬川などが流れ、どこか九州の安心院を思わせる、四方を緑濃い山々が囲み、森にはななかまどやえぞ松が見られる、冬は厳しい土地と想像する、作物は稲を主体とし、たばこやホップなどが作付けされていた。
朝の5時に目覚めると、深い霧の中に居た、盆地特有の朝霧と思われる、所在無さにのろのろと車を走らせる、車窓より顔を出すと冷え冷えとしたしっとり感が眠気を覚ます。

朝まだき遠野の里の霧に濡れ

時間の経過とともに霧は薄くなる、道端にきつねの関所の看板を見て、訪ねるが、集落に迷い込んでしまう、村人が朝早くから庭の手入れや田んぼで働いている、皆老人ばかりである。

旅路にて迷いし村は昔日の景

曲がり屋をみて帰路に就く、山形のそば街道でそばを、喜多方でラーメンを、富山で鱒寿司を食い、ひたすら南下する、夕闇が迫る頃に別府湾を見下ろす十文字原高原に着いた、足下に光の海が広がる、我が家の光を探したが判別できない、またこの光の中に溶け込むのかと奇妙な感じで眺めた。