いずれ八十八か所を巡りたいが、今回は2泊3日の旅ゆえ、ダイジェストに、発心の道場(阿波の国)、

.修行の道場(土佐の国)、菩薩の道場(伊予の国)涅槃の道場(讃岐の国)から一寺を訪ね、

余裕があれば剣岳に登ると言う大ざっばな計画でスタートする。

3月29日 7時20分 三崎行のフェリーにのる、三崎より197号線で山に分け入って行く、ますます雨脚が強くなり、満開の山桜が雨に煙る。

ひと雨ひと雨ごとの山の春

八幡浜、大洲を経て、梼原に着く、ここは竜馬が脱藩のおり通った道と記されていた。

雨雨雨往時をしのぶはただ雨

四万十川の支流、梼原川を439号線で下る、河原に下りて、四万十川の清流に素手で触れてみたいが、道は険しく、雨が立ちはだかる。

四万十ののたうちまわる山や里

四万十川と別れ高地に近づくにつれ、桜は散り、山は新緑の季節になる、里は田植えの準備が進み、かえるの音が満ち溢れている。

山は山里は里の音のする遍路道

横波三里に着く、右手は荒波が打ち寄せる太平洋、左手には静かな浦の内湾を望む場所です。

3月30日

目覚めると快晴だ、大平洋から登る陽を撮りたかったが、時遅くすでに陽は水平線から離れ輝きを増していた。
竜馬も大海より登る朝日を眺めたに違いない、この景色が気宇壮大な男を産む。

大海のうねりをおかずに飯を食う

太平洋を見下ろす、小高い山にある禅師法寺に着く、参道脇には、初々しい緑の楓の木が、その下に地蔵尊が立ち並ぶ、緋色の頭巾を被ったお地蔵さんがひときわ目立つ

若葉の下晴れ舞台ぞ地蔵尊

32号線に乗り、大歩危、祖谷に向かう、高度を上げると、また桜の季節が戻ってきた、吉野川の土手の桜は満開で、下は急流です。

吉野川花は盛りぞ流れ留めん

土讃線のひなびた駅舎に立ち寄る、人気のないプラットホームにクラッシックな信号が赤く灯っている、線路は蛇行しながらはるか向こうのトンネルに消える、40年前にタイムスリップした錯覚にとらわれる、がらんとしたホームとは対照的に満開の桜が賑やかだ、ひょこり寅さんが現れ、花に見とれているね、と言われそうな気がする。

いつか見たそんな気のする花の駅

山の中腹まで家がある、平野が少なく、山に段々畑を作る、四国の人の努力と辛抱に驚嘆する、惜しいことに昔ながらの家が少ない、伝統的な家がたくさん残っていれば、アルプスの山里と同じような風景であろう。
大歩危は観光地化して、昔の面影がない、祖谷も人が押しかけ、かずら橋は渋滞する、これだけ多くの人が乗って大丈夫かと、ひやひやもので渡った、ここでは美味いそばが食えると期待したが、並みの味でした。

剣岳へと向かう道は、細い山道で対向車が来ると難儀する、道端に手作りパンや燻製の看板があり、立ち寄ると、注文があれば作るという、まことにのんびりした山里です、予想以上に時間がかかり、剣岳の麓に着いたのが3時をまわっていた、山は諦め焼山寺へと下ると、思いもよらぬコブシとしだれ桜の咲く里に入る
そま人という木工所に立ち寄り、また思いもよらぬ歓待で、買う気がないので恐縮する、主人は笑顔を絶やさず、不況で工芸品を買う人が減ったこと、林道ができ車の流れが変わったことなど屈託なく話すこだわりの職人である。

しだれ桜の咲く里になぜ不況の風が吹く

焼山寺には陽が没しようとするころに着く、山門は杉の大木に囲まれており、幹に触れ活力を分けてもらう、夕闇が迫る境内で蠟燭に灯をともすと、風に揺れる炎が危うい。

淡き火に全うせよと願いおり

3月31日
金比羅山の参道に入るといきなりおやじが飛びだしてきて誘導する、進入禁止の道に入ったかと思い誘導されるまま進むと、お土産屋の駐車所に連れてゆかれた。帰りに気の進まないお土産を買うはめになる
それ以後、石段の両端の土産物屋の呼び込みには耳を貸さず、目もくれず一心不乱に登ったと言いたいが、へとへとになり山門に着く、汗ばんだシャツを替え、息を整えると満開の桜が清々しい。

甍越し性根見られし金毘羅桜

善通寺は弘法大師の生誕の地、父親善通の名を冠した名刹、香がもうもうと焚かれ、遍路の唱和するなかで手を合わせる、なぜか鳩の鳴き声が耳に残る。

鳩も経する大師堂

楽しみにしていたうどんを食い、讃岐に別を告げ、面河渓に入る

松山では坊ちゃんの湯に浸かる、歴史を感じる風格のある建物だ

4月1日

33号線を浄瑠璃寺へと下る、ただ名前に惹かれて訪ねた最後の一寺である、朝の冷気の中で嗅ぐ線香の香りが心地よい。

甍に桜舞いやまぶきの咲く浄瑠璃寺

三崎への帰路、時間があまり、内子町の古い町並みを見る
1000kmを走った四国の旅は終わりです。
近づく別府の街は春霞に包まれ、伽藍岳に陽が没しようとしている。